見えない空気

私は、若い頃から【「見えない空気」を大切にしよう】と、ことあるたびに言ってきました。

しかし、私が言う「空気」とは、世間で考えるような「空気を読め!」というものとは根本的に違う。

 

私が言う【「見えない空気」を大切にしよう】とは、「本当はこうした方がいいのに・・・」と思っている人がたくさんいる、だったら、それを言える雰囲気を作り出そう! というものです。

 

世間は逆です。

「本当はこうした方がいい・・・」と思っている人がどれだけいても、それを言ってはいけない雰囲気の中では、それを察して目を瞑る・黙っている、ということだ。

 

世間が考える空気と、私が考える空気は、真逆です。

みなさんは、どちらの空気を大事にしたいですか???

 

先般、『「超」入門 空気の研究』という本を読んだ。

この本によると、「空気」とは、【見えない圧力】とあった。

“なるほど” ですね!

 

私の考える「空気」とは、「雰囲気を察する」ところまでは同じかもしれませんが、その後の言動が真逆になります。

私の考える「空気」とは、【生きるための感覚を磨くこと!】

 

上記の本は、私の考える空気・感覚とは正反対のお話ですが、この本を読むと、過去から現在まで、そしてこれから先、日本で起こっている様々な問題点の根源が、すべてこの空気(見えない圧力)にある、ということがものすごくよく分かります。

みなさん、是非是非、この本を読んでくださいね。

 

【「超」入門 空気の研究】

鈴木博毅 著  ダイヤモンド社 発行

 

日本では、“空気”は、絶対的権力のような驚くべき力を持っている。

自由に意見が言えず、人と違えば叩かれ、同調圧力を受け続ける。

こうした日本人の感覚が、忖度制度とも言うべき組織を連綿と作り続けてしまう。

忖度制度の最大の特徴は、最高権力者には、決して責任問題が及ばない、という点だ。

そして、実行者は、「あのときは、ああせざるを得ない空気だった」という言い逃れで、大きな問題が生じても不問とされてしまう点だ。

誰もが、無責任に同調圧力を行使する。

そこで起こった問題で苦しめられた人たちの存在さえもなかったことにされてしまう。

 

「建て前」と「本音」、大衆の前ではたとえ誰もが分かっていても、建て前を述べなければならない。

これが、空気であり、強固な圧力となっている。

たとえば・・・

【言論の自由】は建て前!!!

政府やスポンサー企業に不都合なことは、たとえ本当のことでも決して言ってはいけない、これが本音。

世間に対して、言論の自由があるかのように見せるために、本筋から外れたことで政府やスポンサーを批判して見せることはある。しかし、それは、あくまで見せかけだ。

日本のマスコミの最大の役割がここにある、と言っていいだろう。

公平とは程遠い“空気”の存在。

≪結論ありき≫ よく聞く言葉ですよね!

結論を前提として、その結論にたどり着くためのこと以外は一切触れてはいけない。

これも大きな空気の圧力です。

「いろいろな意見を出し合って、結論を導き出そう!」「議論することはいいことだ!」 権力者のこうした言葉を真に受けて、本音を話そうものなら・・・ 途端に「お前は空気の読めないやつだ!」と袋叩きにされる。

日本社会が間違った方向に進む最大の原因と言っていいでしょう。

日本社会のあらゆる組織が、この≪空気病≫に罹っている。

≪空気は、絶対的支配力を持つ判断基準≫ と言えるでしょう。

恐ろしいことだと思いませんか?

明らかに、現実からかけ離れていることでも、そこに異論をはさむことは許されない。

そして戦争が起こった。そして原発事故が起こった。

歴史は繰り返す。

悲惨な繰り返しが目前に迫ろうとしている。

 

社会全体のあらゆることに対して、『空気を読んで、その空気に異論をはさめる人間になっていきませんか・・・』

異論をはさめる人が増えない限り・・・ 歴史は繰り返されてしまうのです。

異論をはさめる人が増えることで、建て前から本音の社会への移行が可能になるのです。

異論をはさめる人が増えることで、多様性のある社会の実現が可能になるのです。

多様性のある社会になることで、苦しむ人が見捨てられることのない社会になっていくのです。

 

【空気】については、簡単には語り尽くせないほど、様々な場面での事例があります。

一つ一つ語ればキリがありませんが、応用できる人が少ない今の日本社会においては、折に触れて語っていくことが重要だと思っています。

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