≪医者にも薬にも頼らない生き方≫⦅12回連続セミナー 第4巻 前編⦆
講演内容抜粋 |
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≪自然栽培≫(ナチュラルハーモニー基準)・・・
本当にできるの?・できたらすごいね!・できるはずない!・本当は肥料を入れているのでは・・・? 初めのころはいろいろ言われた。
肥料が、虫や病原菌の元になっている。 それが本当なら、この方法(自然栽培)で解決できる。試してみよう!その仕組みを知ってみよう! 30年の取り組みの中で、今では“確信”できるようになった。 ≪自然栽培≫のルールは、『衣・食・住』すべてに共通する。
「?肥料がなければ野菜は育たない?」・・・ほんとう??????? 庭にある柿の木、何もしなくてもきちんと実が成る。おいしい。 栽培・販売のための柿、・・・肥料が必要・農薬が必要・・・ 庭の木も畑の木も同じはずなのに、どうして?
人が関われば関わるほど自然からかけ離れていく。 自然を見て“自然とはどういうことか”を感じられるようになることが大切。 数字ではなく、感覚で感じられるように!!!
『“土”とは?』 “土づくり”の土って??? “土づくり”の原点は? 岩石が風化して細かくなってもそれは土ではない。石であり砂である。そこに、さらに「水」「光」が加わって・・・
太古の地球は、嫌気性細菌からスタート。 珪藻土・・・地球の太古を教えてくれるもの。嫌気性細菌を餌にして好気性細菌を作り出す。光合成の始まり。これが、空気・水の浄化作用となる。 市販されている珪藻土は、ピン・キリ! イメージで決めずにしっかり吟味すること。(粗悪品や誤魔化し品の方が多いかも?)
好気性細菌が誕生し、微生物・・・植物・・・食べ物が誕生する。 岩石 ⇒ コケ類の浸入 ⇒ 土が出来てくる ⇒ 土に厚さが出てくる。 植物が土を育ててきた。100年に1㎝の土を形成する。 土は、化学肥料や糞尿で作られるものではない。 健全な土とは? より自然な土とは? ・・・ この原点に従えばいい! 「大量生産・大量消費」を「適正生産・適正消費」にすればいい。 化学肥料も有機肥料も人間のエゴから始まった。 タンポポ1本に、ものすごい量の根がある。
『自然栽培』という言葉が書物に出てくるのは大正時代から。 その頃は、宗教関係や哲学関係の人ばかりだった。 物理学者や科学者ではなかった。 しっかりとした書物としては、岡田茂吉氏の『自然農法解説』『土を生かす道』
誰が出したかなどはどうでもいい。 そこで何を感じるか? そこで自分が何を学ぶか? そして学んだことは、 【化学肥料は使わない!】 効果は大きいが、反作用も大きい・・・虫・病原菌の大発生! 【堆肥(家畜・人の糞尿)は使わない】 これも効果はある。しかし、反作用も大きい!
昭和初期までは、堆肥を使っても節度があった。 当時の有機肥料は、3年くらい寝かせてから使っていた。 舐めても大丈夫なくらい自然な状態に戻してから使っていた。 そして、手作業で撒ける量は限られていた。 それでも、虫・病原菌の被害に遭う。 今は、機械化で大量投入される。 今は、3年も寝かせることはない。長くて半年。化学培養菌を投入して無理矢理発酵させることも。光合成細菌(EM菌も含む)を使うことは、自然にも反する。 本来は、嫌気性細菌が糞尿を食べ化学変化させ好気性細菌を作っていく。 いきなり好気性細菌をぶち込むこと・・・これは土をつくることにはならない。これでは土はできない。土ではなく、好気性細菌そのものを肥料として植物が育つ。それは、土からできる植物とは似て非なるもの。当然、虫や病原菌が発生しやすくなる。
『自然栽培』とは・・・【外からは何も入れない】・・・「これがイロハの“イ”です」
では、今日から何も入れない・・・すぐに自然栽培ができるのか? 人間を例に考えてみましょう。 「今日から、農薬も化学肥料も添加物も一切ない食生活に変えたとします。そうしたら、今日から急に一気に健康になるのかどうか?」 そうはならないですよね! 毎日毎日安全なものを食べ続けることで、少しずつ少しずつ健康になっていくんですよね! 土も一緒です。 一気には変わらないのです。 今まで投入されてきたものがどんなもので、どれだけの量投入されてきたのか? 今までにどんなことをしてきたか・・・ 自然栽培も、人の健康も、この過去の影響が大きいのです。 上から余分なものを入れない、下から悪いものをしっかり出す、それにはそれなりの年月がかかるのです。
自然栽培を始める畑の場合、最初どうすればいいのか? ≪深耕する≫・・・肥毒の層を破って天地返しをする。 (肥毒 = 肥料の毒 ・・・ 肥料はどんなものでも毒となる) 肥料を100入れると、作物が吸うのは20くらい。残りの多くは、土の中に残留する。 それが層となる。 層ができると、まず水はけが悪くなる。水はけが悪くなると、病原菌が発生しやすくなる。この層は、冷たく硬い。 長い根が生える作物は育ちにくくなる。
大量生産・大量消費の夜明けの時代に、自然栽培は受け入れられなかった。
天地返しは、土の構造を大きく壊す可能性もある。育てる作物によって、向き・不向きがある。 小面積だからできること。 そう考えられている時代だった。 でも、今は、 植物の根の力を借りて肥毒層を取る方法が確立されてきた。自然栽培を成功させるコツは、ここにある。
次に大切なことは、≪種の肥毒を取ること!≫ 最初に買ってくる種は、肥料・農薬がなくては育ちそうもない虚弱型の種でしょう。 その土地で連作することによって、その土地にあった種にしていくことが大切。 汚れの取れた土で、汚れのない種をつくれば、その種に自ら生きる活力が復活してくる。 健全な根、健全な農作物に向っていく。 当然のことながら、大量生産・短期生産には向かない。
人の身体と同じです。 人の身体は、異物(本来、人の身体を作るものではないもの=農薬・化学肥料・添加物・有機肥料も)によって硬くなり、“コリ”“冷え”が生じる。 “コリ”“冷え”が生じると、高熱を出す力も衰える。 高熱を出すことは、身体を浄化するために必要なこと! でもその力を出せなくなってしまう。 乳幼児が40度の熱を出すのは、それだけ浄化する力がある、ということ。
S29年、「農水省の研究班」が出した「自然農法研究会 趣意書」には、こんなことが書かれていた。 「肥料代・農薬代不要。労力節減。風水害・干ばつ・病害虫の被害軽微。しかも5か年にして5割以上増収」と。 この事実が全国に広まろうとしていた。 当時は、本当に5割の増収だったと思われる。 残念ながら、化学肥料・化学農薬が広まる時期と重なり、多くの圧力がかかり広まりきらなかった。 化学全盛の幕開け時代だったため、研究しようとする学者もいなかった。 さらに、自然農法家は宗教がらみの人が多かったこともあり受け入れられにくかった。 理論は確立していなかったが、結果はあった。 結果がすべてだが、それが受け入れられることはなかった。
現在は・・・ 長年の肥毒が溜まり過ぎて、10年でトントン、20年で2割増収が精一杯だろう。 S50年代、有機農業が台頭し始めた。 自然栽培の復活と言ってもいい。 しかし、大丈夫だと思っていた肥毒が大量に残っていて、思うように進展しなかった。 平成初期は産みの苦しみの時代。 現代版自然栽培の技術確立は、ここほんの10年くらい。やっとやっと“これだ”という技術が確立されてきた。 これからも試行錯誤の連続だが・・・
もうひっつ厄介なことが・・・ F1種の種・・・種の改悪!!! 野菜の見た目は同じでも、質は全く違う。
身体ではなく、頭・知識で食べる時代になってしまった。 学んだら、次は五感で感じて食べて欲しい。 五感で食べられるようにならないと間違った方向に進んでしまう。 原発の事故以来、本質を求める人が増えている、という実感がある。
「自然栽培」「自然農法」「自然農」「不耕起栽培」いろいろな呼び方がある。 「EM自然農法」は本来の自然農法ではない。意味を理解せずに「自然農法」という言葉が使われるようになった。 なかには「減農薬自然農法」なんて使われ方まで・・・ これも含めて、世間では、ごちゃ混ぜで「自然農法」と呼んでしまっている。 “何かを入れる”という発想は、有機農業であり、自然農法・自然栽培ではない! 〖言葉で判断しないで!〗 〖本質を見極めて!〗 最近「炭素循環農法」の台頭が著しい。 これは、栽培には「○○が必要だ!」という農業。本来の自然農法ではない。 “微生物を繁殖させる”という概念そのものが自然栽培の概念に反する。 微生物は、繁殖させるものではなく、自然に湧いてくるもの。 何か特別なものを入れるという発想が、短期的なものであり、本来の土つくりではない。 何かを入れることによる効果はあるかもしれない。しかし、そこには必ず反作用がある。
『土壌と種子を清浄化させ生命活動に適した環境を整備すること。結果として農作物が活き活きと成長する。それを人間がいただく』
【自然栽培とは】【自然食とは】その本質は!!!
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約20年前、私がものすごく疑問に思ったこと、それは、
「雑草は、いつでもどこでも、誰も種を蒔かない・水もやらない・肥料もやらない・農薬も撒かない、にもかかわらず、毎年毎年しっかり生えてくる。しかも、同じような草が同じようなところに・・・ 野菜とどう違うのだろう?」ということでした。毎日犬の散歩をしながらそんなことを繰り返し繰り返し考えていました。 “連作障害”って? 雑草と野菜、なぜ野菜だけ“連作障害”が起こるのか? だったら試してみよう。大根を毎年同じ場所に植えました。試せば試すほど、農薬も肥料も与えなければ、“連作障害”は起こらないのでは? と感じ、他の野菜でも試すことに・・・ 20年経った今、きっと私が試してきたことが、本来あるべき姿なのだ! と思えるに至っています。
畑を始めて何年目かの頃、「スギナ」が繁茂するところは野菜の出来が悪いことを発見。邪魔なスギナを全部取ろうと思って根をたぐっていった。行けども行けどもキリなく続く根。1カ所から10m以上続く。何度も試みたが諦めることにした。 ところが不思議なことに、何年も畑を続けていると、スギナはどんどんなくなっていく。少しずつ草取りしやすい草に変わっていく。 「な~んだ、できてもできなくても毎年野菜作りを続けていけば、だんだん野菜のできる土に変わっていくんだ・・・」ということを覚えた。 でも、それが何故なのかは全く分からなかった。 初めのころは短かった野菜の根が、年を追うごとに長くなっていくことも発見した。 小松菜の根が2mくらいあったことも! ほうれん草の根をたぐっていき、途中で諦めたことも! 根の長い野菜が美味しいということも体験から知った。 これが「本当の土つくりなのでは?」とおぼろげながら考えるようになった。 そして、ナチュラル・ハーモニーの河名さんとの出会い。 疑問が次々に解けていき大喜びをしたのは、まだほんの5年ほど前だ。 (河名さんの本はその数年前に読んだ)
約18年前、「EM菌」を使った野菜作りも試した。 同じ畑で、同じ種を使って、 ① ただ種を蒔くだけであとは何もしない ② 種を蒔いた場所で出た草を取りその草を敷き草にする ③ 雑木林の落ち葉を入れる ④ 雑木林の腐葉土を入れる ⑤ 我が家で出た生ごみを発酵させて入れる(生ごみ処理機を2台購入し試した) ⑥ 抗生物質を使っていない鶏の鶏糞を少量入れる ⑦ EM菌を入れる これだけで7畝必要です。 これを、レタス、キャベツ、大根などで試しました。
こんなことを何年も試していると、おもしろい応えが帰ってくるのです。
★ 一番美味しい野菜は、断トツで① 次いで②③④・・・ ★ 一番早く育つ野菜は、⑦⑥ 次いで⑤④③・・・ ★ 一番虫が付きやすい野菜は、⑦⑥ 次いで⑤④③・・・ ★ 一番腐りやすい野菜は、⑦⑥ 次いで⑤④③・・・
おもしろいでしょ! 何となく分かりますか? 一番美味しい野菜は断然①次いで②なのですが、これを続けるのが大変なのです。発芽率は悪い・なかなか育たない・大きくならない・大きくなる前にシーズンが終わってトウが立ち始める。 ⑥⑦は、トウも立たずに畑にある段階で腐っていくものが多いことにも気づいた。
過去、何度も何度も畑を借りては返し、返しては借りてきた。 どの畑も1年目2年目は、スコップで必死で掘って耕していた。その頃は「肥毒」なるものの存在は全く知らなかった。 とにかく土を柔らかくしたい、表面だけを耕しても1年経つ前にガチガチに硬くなってしまう、柔らかさが少しでも長持ちするように・・・ との想いで、隅から隅まで50㎝以上掘りまくった。 石灰のような層のある畑、掘れば掘るほどやたら臭い土の畑、どす黒い土の層のある畑、山の斜面を削ったような層のある畑、畑によっていろいろな層があった。 何も知らなかったけれど、とにかく、この層をなくさなくては・・・ と必死になっていた。 結果論ですが、自然栽培の原点となる行為をしていたんだな~ 【自然栽培とは?】ということを学べば学ぶほど、「今までしてきたことは、自然栽培を身体で覚えるために、身体で感じるためにしてきたことなんだな~」としみじみ感じます。 初めた頃は、(5年間くらいは)近所の農家の人たちにいつも笑われていた。 「あいつは、畑を借りて、野菜はまともにできないのに、いつもいつも土方作業のようなことばかりしている」と。 親切な人が教えに来てくれんです。 「おまえはこんな風に笑われているぞ、おれが教えてやるからやってみろ、そうすれば立派な野菜ができるようになるぞ!」と。 でも私は、その親切をすべて断ってきた。 理由は、必ず最後にこんな言葉が待っていたからです。 「少しは農薬も必要だ。全く使わなかったら何もできない。ほんの少しだから無農薬みたいなものだ。みんな無農薬と言って売っているから大丈夫!」 何が大丈夫なんだろうね??? 「できてもできなくても試す!」そう決めてスタートさせた畑作業。 近所の農家の人たちは、だんだん誰も声をかけなくなってきました。 寂しさよりも、安心して自分の試したいことを試せる、と思ったものだ。
畑で育った「ほうれん草」の根の長さを計ったことがある。まだ「自然栽培」のことを知る前だ。 計った理由は、できるだけ長い根っこのほうれん草を収穫したかったから。ほうれん草の根っこがものすごく甘くて美味しいんです。でも、いつ収穫しても途中で根っこが切れてしまうんです。少しでも長く根っこを収穫したい。いったいどれくらい掘れば根っこのすべてを収穫できるのだろう? 掘ってみてビックリ! 葉の長さは20㎝くらいなのに、根の長さはどれもこれも60㎝以上。 試し掘りとしてはおもしろいけれど、販売用に毎度毎度60㎝以上掘るわけにはいかない。仕方がないので、適当なところで切ってしまうことに・・・ こんな経験をたくさんしていたので、自然栽培の話を聞いた時には、聞けば聞くほど「なるほど!なるほど!そのとおり!そのとおり!」だった。 多くの人が、農業のベテランでさえも、「自然栽培」の話を聞くと、最初は「肥料がなくて作物が育つはずない!」と反論されるそうです。そんな中で私は異質の人間だったようです。
野菜作りを始めた頃は「F1種」の言葉さえ知らなかった。 わりと早い時期から「自然農法研究会」というところから種を買っていた。 種類が少なかったので、時々ホームセンターなどでも買っていた。 でも、「サカタ」「タキイ」「カネコ」「トーホク」「渡辺」etc. の種業界を牛耳っていると思われる会社の種だけは買いたくなかった。 それが結果として、多くのF1種を避けて通ることができた要因のようだ。
そんな中でも時々、種の袋に「F1」と書いてあるものがあった。 不思議なことを発見した。 大根は、こぼれ種から出たものが“うまい”と感じていたので、毎年何本かの大根を残して花を咲かせ種をこぼしていた。 「F1」と書いてある大根からこぼれたものは、大根も出てくるけれど、見たこともない(雑草なのか野菜なのかわからない)ものも出てくる。 さらに、味は、F1種と書いてあるものは、間違いなく「心からおいしいとは思えなかった」 甘くて美味しい気がするのに何となく違和感があるのです。 何となく気持ち悪くて、欲しい種があるときは、ネットで見つけた長野県の種苗店に連絡して「F1」と書いてない種を捜してもらった。 親切な種苗店だったが、手間暇がかかり欲しいものがなかなか手に入らなかった。 その後、「F1」の意味を調べるようになり、「これはいかん!」 固定種・在来種の種を入手できないものは、無理に栽培することはやめよう・・・ もう10年以上、F1の種は一切使ったことがない。 今は、自家採取できるものは自家採種し、できなかったものや自然交配しやすいものは、主に野口種苗研究所から購入している。その中でも種子消毒したものは一切購入しない。
毎度のことだが、言葉の独り歩きがものすごく苦になる。 「自然栽培ね! 私も食べているわよ!」 ここ1~2年、こういう方がものすごく増えた。 木村さんの映画の影響だろうか? 自然栽培の意味を知らずにこの言葉を使っている人がものすごく多い。 農家も平気で「うちは自然栽培です」という。 中には、慣行農法そのものなのに、露地栽培をしているから「自然栽培」なんていう人まで。 知っていて使っていれば“悪質” 知らずに使っていれば、ものすごく“厄介” マスコミの影響は怖いです。 記者が何も知らずにその言葉を平気で使うのですから!!! |
次回は、2月23日(日)午後1時30分~ 第4巻 後編です
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