過去の投稿
弱者救済???
【弱者救済? 日本における弱者救済って・・・】
「優生思想を内在させた弱者救済」と「同じ目線に立った弱者救済」は、根本的に違う。
本質的に違う。
前者は、常に“弱者”という存在が必要で、弱者に何かをしてやったという優越感を得ることが目的。
この潜在意識自体に、弱者救済をしている本人も気付いていないことが多く、誰かを助けて自己満足していることが多い。
押し付けの手助け・支援・応援が多く、相手の気持ちを慮ることが少ない、または感覚がずれている。
こういう人の特徴は、弱者が少しでも贅沢に見える生活を取り入れると不快になる。
一方、後者は、弱者が弱者のままであっても自分らしく活き活きと生活できるようにという想いで手助けをすることが多い。また、弱者でない状態になっていったときには自分事のように喜ぶ。
今の日本で使われる“弱者救済”という言葉、そのほとんどが、前者に基づいている。
生活保護を受けている人が、たまたま1回気晴らしにパチンコをしただけで非難されるのはその典型だろう。
自身も弱者の立場である人が、さらなる弱者を見つけ出して、何らかの支援をして優越感に浸る、これも優生思想の一環だろう。
こうしたことを繰り返している限り、真の弱者救済は成し得ない。
話は逸れますが、
公明党は、政治団体か、それとも宗教団体か?
創価学会員が、公明党批判を堂々としたり公明党以外の政党を大々的に支援したりすると、創価学会を除籍になることがある。
ということは、公明党の実態は、宗教団体と言えないだろうか?
本当の宗教というのは、宗派を問わず、利権に関係なく、同じ目線で弱者を救済し、弱者から脱却できるように、または、脱却できないまでも活き活きとした日常生活ができるように支えるもの、私はそう思っている。
また、組織の実績を誇張宣伝するような行為は、宗教の理念に反する、私はそう考えている。
こうした見方から考えると、公明党も創価学会も、私が考える宗教とは、本質が全く違う。
形ばかりの宗教で、宗教心があるとは到底言えない。
これは、公明党、創価学会だけでなく、他の宗教でも同様のような気がする。
今、日本で繰り広げられている“弱者救済”のほとんどが、弱者の目の前に札束をぶら下げて、「欲しいか? 欲しかったら私たちの仲間になれ!」というものだ。
その代表が、自民党と公明党だろう。
優生思想の典型例と言える。
こうしたことが最も卑怯なこと! 私はそう思っている。
ただし、ここには、弱者(本当は弱者ではない、という人も含む)側の問題もある。
意に反することであっても、目の前の札束にシッポを振って付いていき、意に反する組織に従う。
その上、その組織に従わない者を排除しようとまでする。
これは、自民党の典型的戦略だ。
若手・新米の自民党議員の言動がそれを証明している。
それに加えて、弱者どうしを仲間割れさせる最も有効な手段ともなる。
こうなると、本気で本質的問題の解決を目指す人たちは、社会の隅に追いやられていく。
そして、優生思想を基準とした人たちが、自らの利権確保を一層強固なものとしながら、弱者救済ごっこを繰り広げる。
自ら選ぶことのできない出生という偶然によって、一部の人たちは、生涯弱者に追いやられたままの一生を強いられる。
弱者のままでも、そこに活き活きとした日常生活があれば、社会問題が噴出することもない。
しかし、現実には、優生思想を持った人たちの“弱者救済ごっこ”によって、弱者分断が図られ、シッポを振らずに取り残された人たちは、増々苦しい状況に追い込まれていく。
札束を握りしめた弱者仲間だった人たちに白い目で見られながら。
ここまで何度も「札束」という言葉を使ったが、「保育園・幼稚園無料化」も札束の一つだ。「医療費無料化」も札束の一つだ。
無料化がいけない、と言っているのではない。その方法が問題なのだ。
弱者救済という名目で、その最大の目的は、優生思想層のさらなる勢力拡大。
無料化の陰で、勢力拡大層は、何の痛みもなくさらなる勢力拡大を成し遂げ、無料化に該当しない取り残された弱者をさらに厳しい・苦しい状況に追い込む。
この繰り返しの中で、様々な多くの利権を作り上げてきた優生思想層たち。
こうした流れを作ることが、自民・公明政治の真の目的。
これが、官僚政治の真の目的。
私がみなさんに望むことは、「自分がもらえるかどうかではなく、それが、社会全体の循環にとって本当に良いことなのかどうかを考える癖付け」をして欲しいのです。
【今だけ・金だけ・自分だけ】の判断になっていないか・・・そうならないように自制して欲しいのです。
さて、問題はここからだ。
優生思想層の反対は避けられないながらも、何とかある程度の同意を得ながら、真に弱者と同じ目線に立った弱者救済制度の確立。
私は、優生思想を排除した日本流ベーシックインカムを提案したい。
ここに大きな活路があると思う。
自民党公明党が考えるベーシックインカムでは、同じ繰り返しになる。彼らから活路は見いだせない。真の目的が違うからだ。弱者救済どころか、生活を満たせない額を与えて、他の救済制度をなくし、弱者をさらに追い込むのが関の山。
利権に左右されない本質的根源的検討のできる専門家の出現を願う!
自民・公明・官僚・マスコミの妨害をできるだけ回避しながらの作業となる。
それには、一般市民の関心の高まりが必要だ。
多くの市民が無関心である間は、何も前には進まない。
そう考えると、今の日本は、まだ機が熟していない、と言えるのだろう。
機が熟した時には、時すでに遅し、とならないことを願うばかりです。
私の考える「ベーシックインカム」についてのお話はいずれまた!
みなさんなりに調べておいてくださいね。
消費税を財源にしなくても十分可能です。
消費税は完全に廃止できます。
一番難しいのは、現在、甘い汁を吸っている人たちの猛反発を潜り抜けること。
彼らに札束を見せつけられた人たちの判断がその行方を決めることになるでしょう。
自民・公明の分断戦略にまんまと乗せられている間は実現不可能でしょう。
コロナ騒ぎで誰が一番儲けたか・・・ 儲けているか・・・ どんな利権が出来上がったか・・・
コロナ関連予算の3分の2は、救済ではなく、自民党・公明党関連企業や官僚天下り団体にピンハネされている。
とんでもない額が、庶民のために使われずに、権力者たちの懐に貯め込まれていく。
一般庶民から巻き上げた消費税や優遇措置のない中小個人事業者の支払った所得税、これらがかき集められて権力者たちの懐に入っていくのです。
コロナ騒ぎは、貧富の差をさらに拡大させるための政策と見て間違いないだろう。
各種給付金は、弱者救済のためにしているのではなく、ピンハネ組織の懐を肥やすための政策。
現政権が早く崩壊することを願うばかりです。
2020.06.14