今月の一枚
イノシシの足跡
【イノシシの足跡】
虫や野生動物は、環境や生態の関係から、アクのある食べ物を求める。
人間は、野生から離れて生活するようになり、離れれば離れるほど、アクのある食べ物が身体の負担になるようになってきた。
春の芽時になると、山菜などのアクのある食べ物を食べる習慣がありますが、近年は、アク抜きが必須になってきたのではないでしょうか。
山菜取りなどに出かける場所が、人間と野生動物の共通生活場所で、幅広い境界線になっていた。
食生活の特徴が、そのまま生活の場の棲み分けとなっていた。
野生動物や虫たちと人間の共存は、それぞれの特徴が活かされながら連綿と続いてきたのだと思います。
ところが、今では、「山での芝刈りや山菜取り」などの生活習慣がなくなり、野生動物と人間の生活の場の共通部分がなくなり、境界線が単なる線になり、野生動物がその線を越えた瞬間に、人間の生活の場、という環境になってしまいました。
その上、野生動物の住処だった場所が、次から次へと乱開発され、住処を失った野生動物は、否が応でも人間の生活の場に出没せざるを得なくなってしまった。
境界線を越えた野生動物は、害獣として人間に嫌われ、あの手この手の獣害対策を取られ、食のためではなく単なる邪魔者として殺処分されるようになってしまった。
野生動物から見たら、【人間のほうが野蛮で身勝手な害獣】となるのでは・・・
この冬、荒れ放題の畑の整備に明け暮れました。
並行して、少しずつ裏山の下草刈りも始めました。
野生動物との境界線の幅をできるだけたくさん取れるようにと・・・
これまでは、荒れ果てた畑も裏山も、共通・共存場所ではなく、完全に野生動物の住処になってしまっていました。
一線を越えたらその瞬間、害獣として人間の目の敵にされる。そんな場所です。
幸い、この周辺は、まだまだ野生動物の住処がたくさんあります。
人間との境界線ギリギリまで出てこなくても、幅広い境界線の中に留まって生活できるのでは? と感じています。
少しずつ整備してきた畑には、日々、イノシシの足跡があります。
1頭ではなく、何頭もの足跡です。
幅広い境界線を少しずつ作りながら、かつ、アクの少ない野菜を育てることで、野生動物の被害をどこまで少なくできるか、なくすことができるか・・・
これから何年もかけて試していきたいと思っています。
自然栽培の作物は、野生動物の被害に遭う確率が低い、と言われています。
愛知の時も、畑には頻繁にイノシシの足跡がありましたが、野菜の被害は全くありませんでした。
野菜にアクがないからでは? と感じていました。
周辺の慣行栽培の田んぼや畑では、イノシシ被害が頻繁にある中で!
とは言うものの、「お米について」は、過去4年ほど挑戦しましたが、毎度、半分以上がイノシシ被害に遭っていました。
それでも、お米栽培を辞めたのは、イノシシ被害が理由ではなく、人間の水問題。
地域と同じ方法の銘柄・栽培方法でなければ、水止めの嫌がらせをされる。そういう地域だったのです。
水を止められ、干からびた田んぼを見て、何度も悲しみ苦しみました。
イノシシがお米を食べてくれた方が、精神的には断然救われます。
今回新たに作付けを始める畑では、どれだけのアクが野菜に出るのか・・・ やってみないと分からい部分が多いです。
そんなことから、今回の畑、当初何年間かは、たとえ動物被害に遭っても、電気柵などの防除はしないで、その状況を観察していきたいな~ と思っています。
周辺の田畑が、ほぼ例外なく電気柵をしている中で、自然に沿った棲み分けができる可能性は低いかもしれませんが、それでも、これからのための思わぬヒントが何か見つかるのでは・・・ との思いで、試行錯誤していこうかな・・・ と考えています。
下は、自然界の芸術作品。
すごいですよね。誰が教えるわけでも命令するわけでもないのに、毎朝、このような芸術作品ができているのです。
蜘蛛を嫌う人が多いようですが(私も、蜘蛛の巣に引っかかると毎度腹立たしく感じていますが)、蜘蛛は、ミツバチと同じくらい、人間が食べる野菜などの生育に役立っていると思います。
私は、畑の通路の蜘蛛の巣は、通るときには掃ってしまいますが、通らない所の蜘蛛の巣はできるだけ残すようにしています。
自然界って・・・ 本当にすごいな~ と感じることで溢れかえっています。
科学の世界で証明されたことより、自然界の現象から物事を判断するほうが、大きな間違いはない!
私は、常々そう感じています。
2021.04.04