気の向くままつぶやき
「使い分け」って???
【「使い分け」って ???】
ビジネス界では、【TPO】という言葉がよく使われます。
辞書によると、Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場面)の頭文字を取った略語であり、時と場所、場合に合わせて行動や言動をわきまえる・使い分けるということ。
私は、若い頃からこの言葉にいつも違和感を持っていました。
「場所をわきまえろ!」「上手に使い分けろ!」数えきれないくらい言われてきました。
でもね・・・ こういうことを私に言う人たちは、ほぼ例外なく「立場」でモノ言う人たちだったんです。
今、何のために場所をわきまえないといけないのか・・・
今、なぜ、使い分けないといけないのか・・・
上層部にとっての都合の悪いことを表沙汰にさせないため、本当に大事なことについて発言を許さないようにするため、メンバー全員を同じ方向に向かせるために、異論を挟む雰囲気を圧殺するために・・・ そのために、発言だけでなく、服装や態度までをも均一化させようとする。
そのための訓練・洗脳は、小学校から既に始まっている。
【使い分けていいこと】と【使い分けてはいけないこと】 考えたことありますか?
【2枚舌】という言葉、知っていますか?
その判断は、人それぞれでしょう。
ひとつはっきりと言えることがあります。
日本の小中学校は、2枚舌を上手に使い分けることのできる子は、評価が高くなる。
真っ正直に生きようとする子は、「素直でない」と評価が悪くなる。
それがそのまま、大人社会にも当てはまる。
子どもがマスクをすることの弊害は十分承知している。でも、周りから何か言われたくないので、嫌がる子どもにマスクをさせる。
そういう親や教師、驚くほど多いですよね。
この使い分けって??? した方がいい使い分けだと思いますか?
もう20年以上前の話ですが、知らない間に「幸田町PTA連絡協議会 会長」(各学校のPTA会長の中のそのまた会長です)という役職に付かされた。気が付いたときには、既に私の名前でいろんな案内が次から次へと出されていた。
その時点での役職放棄は、あまりにも周りへの影響が大きく、何の関係もない人たちにも大きな迷惑がかかる。引き受けざるを得ない状況に追い込まれていた。
驚くことに、当時「幸田町PTA連絡協議会 会長」という役職には、50以上のおまけの役職が付いていた。
いろんな案内が次から次へと届くまで、自分がどんな役職に付いているのかもわからないまま・・・
1年余りの間に届いた会議・会合・打ち合わせ・総会などの案内、なんと900回くらい。
結果として、そのうち300回くらいの会合に参加した。(というより、参加せざるを得なかった)
本題はここからです。
もっともっと驚くことに・・・ これらの会合などに参加する男性は、例外なく(例外なくすべてですよ!)紺かグレーのスーツを着ていた。
数百人参加するような会議で、みんな同じ姿をしている。私にはどうにも異様に映った。気持ち悪いを通り越し、何かにとりつかれた集団の中に放り込まれたようだった。
その中で、唯一、私だけが、いつもと同じ「綿パン・ポロシャツ」姿で参加。
私の役職は、どんな時でも主賓扱い。舞台があれば必ず舞台の上。宴会では上座の真ん中の席。
周りから常に白い眼で睨みつけられ、陰に日向に「非常識」の言葉を浴びせられました。
私は、片っ端から聞き回りました。
「紺かグレーのスーツを着てこないといけないですか? 綿パン・ポロシャツのこの服装ではいけないですか?」と。
これまた驚く返答の連続で・・・ 「服装に決まりはないので何の問題もないです」
誰一人、スーツ着用のほうが良いとは言わないのです。「場所をわきまえろ・・・」と横を向いて非難の声を上げていた議員や役場幹部たちまでも。
何のために紺やクレーのスーツを着ているのか・・・ それを説明できる人は誰一人いなかった。
「みんなが着ているから!」「それが常識だから!」 それだけの理由なのです。
さらに驚くことに・・・ 回を重ね、半年以上経過した頃から、チラホラと、紺・グレーのスーツではない人が現れ出した。当初、私を白い眼で睨みつけていた人でさえ・・・
さらには、ブレザー、ジャケットでもなく、私のような世間一般に言う「私服」で参加する人も現れ出した。
何の問題もない。いや、そのほうが、気軽に意見が出せるようになっているのでは・・・
でも、教育界幹部たちはおもしろくない。
活発な意見が出れば出るほど、眉間に皴が寄り・釣り目になって睨みつけてくる。
「できるだけ広く、いろんな人の意見を聞きたい!」というお題目のような言葉が、一層白々しく聞こえてくる。
これ、20年以上前の話ですが・・・ 今も、本質的には何も変わっていないのでは!!!
こうした経験を踏まえて、学校の制服って(体操服も含めて)・・・ 活発な意見を出させないため、みんなと同じ意見しか言わせないため、教師の指示がすべて正しいと思い込ませるため・・・ にあるのでは!!! 自分自身の学生時代を思い返してみても・・・ ぴったり・しっくりくるのです。
「本音と建前の使い分け」世間の常識としては、当たり前のことかもしれません。
「場面ごとの服装の在り方・使い分け」世間の常識と外れていれば、即座に「非常識」と切り捨てる。
でもね、これらの使い分け・・・ 本当に必要ですか? スーツを着ていないと困ることや誰かに迷惑をかけることが何かありますか?
本人が、自分自身の気持ちの切り替え用として使い分けをするのは構いません。でも・・・ それを人に強要することって・・・ どこかおかしいと思うのです。
私自身、公務員時代に、スーツを着ると仕事モード、ジャージを着ると自宅リラックスモード、なんて時期もありましたが、よくよく考えれば、私はいつでも私なのです。私を使い分ける必要がある仕事って・・・ 自分自身を使い分けなくてもいい生き方が本来の姿なのでは?
仕事の時も・遊びの時も・趣味の時も・家族との時間も・友人との団欒時も・・・ 私はいつでも私なのです。
私を使い分けることを強要される社会から脱皮する方法はないものか・・・ 時間はかかりましたが、今は、私を使い分ける必要のない生活にたどり着けたような気がします。
「使い分け」と言えば、芸能人などの「芸名」や作家などの「ペンネーム」なども使い分けですね。でもね、これは、自ら選んだ使い分けであって、誰かに強要された使わけではないので、人それぞれ自分で決めればいいのでは・・・
ただ、私がこれまで関わってきた企業などや社会全体を観察してきた中で、ひとつ、面白い傾向があるのです。
「複数の屋号の使い分け」や「同一従業員なのに会社名が複数存在」などの行為をしている経営者や経営陣は、どんなに立派なことを言っていても、その真の目的は「規模拡大」「利益至上主義」「社会的地位や権威」であることが圧倒的に多い。
今まで出会った人の中では、例外はいないです・・・ これから先、例外の人が出てくるかもしれませんが・・・ その結果は5年後・10年後以降になりますが・・・
本人にそういう意識がなくても、おそらく無意識・潜在的意識があるのだと思います。
「使い分け」のスタート時点では、「権威・地位・名誉・利益至上主義・規模拡大など」について、顕在意識も潜在意識もなく、“ただ何となく”“誰かがしていたから”“おしゃれだから”という人もいると思いますが、これが不思議なことに、時間の経過とともに、知らず知らずのうちに、こうしたものを目指すようになってしまうものなのです。
だから、最初から、こうした使い分けをしないほうがいい、私はそう思っています。
どういう生き方をしたいのか・・・ を考えるとき、このような、行動による思考傾向にも目を向けると、また違った世界が見えてきます。
これまでの世間の常識では、【使い分けはしないより、したほうがいい】または【使い分けは、しなくてはいけないこと!】だったと思います。
でもね、これからは【使い分けは、できるだけしないほうがいい!】という常識作りに方向転換しませんか。
「この使い分けは必要でしょ!」と思い込んでいる使い分けさえも、実は、使い分けてはいけない使い分けを助長・増長させる原因になっていることが多いのです。
このような視点で、世の中を見渡していくことも必要だと思います。
勘違いしないでくださいね。
「権威・地位・名誉・利益至上主義・規模拡大など」を目指すことがいけない、と言っているのではないですよ。
「そんなものには全く興味がない、もっと大事なものがある!」と常々言っている人たちが、こういう方向に行ってしまうことに対して「???」を感じているだけなんです。
多くの人は、言葉だけで判断してしまう、また、有名な人や権威のある人になびいてしまう。
「自然を守ろう!」「環境を大事にしよう!」「農薬をやめよう!」「社会貢献しよう!」「共生社会を作ろう!」・・・ などなど声高に発信する人たちをついつい信用してしまう。
でも、実はその本質・真の目的は違っていた。
でも、それさえも気づかない・・・ という人たちで溢れかえっていると思うのです。
だから、どれだけ良いことを言う人が増えても、社会がどんどん疲弊していくのだと思います。
もっと、もっと、本質的な部分からの見直しが必要なのでは???
私は、常々、そう思っています。
そういう意味で・・・ 「使い分け」について・・・ 今一度、掘り下げて考えてみて欲しいのです。
2021.06.17