お伝えしたいこと
【令和の米騒動】
【 ??? 令和の米騒動 ??? 】
『米不足?』 どうして???
日本で唯一の食料自給率100%越えを維持している【お米】
そのお米が、スーパーに行っても・・・ 道の駅に行っても・・・ お米屋さんに行っても ・・・ 売ってもらえない。
誰が・どこで・何のために・どのように操作しているのか???
日本人気質を熟知した上での確信犯。
これが日本人気質 ・・・
お米がなくて困っていない人まで ・・・ お米を探して買い漁る。
家にはお米が余ってくる。
身近に不足している人がいると「分けてあげようか?」と声をかける。
買い占めをした人が、ものすごく親切な人になる。
一方で、
今日の収入で何とか食い繋いでいる人は、今日得た収入でお米を買おうとしたら、お店には買うお米がない。
ただでさえ、日々、ギリギリの中で生活しているのに ・・・ それでも何とかお米を売っているお店を探し ・・・ いざ買おうとしたら、いつもよりものすごく高い。手が出ない。手を出したら他の支払ができなくなる。苦しい生活をしている人たちはさらに追い込まれる。
陰で苦しむ人なんてお構いなしで ・・・ 自分さえよければ ・・・ 自分の仲良しさえ大丈夫なら ・・・ という行動をしている人たちが ・・・ 困っていない人(もしくはほんの少し困っている人)への親切で、ものすごくいい人に大変身する。
または、本当に困っている人たちに、自分たちが全く困らない範囲で余ったものをめぐんで ・・・ 善人ゴッコ。これが今の日本の姿だと思う。
困る人たちをさらに増やすような行動をしている人たちが、褒め称えられ ・・・
彼らには、困った人の存在が必要なのです。
なぜなら ・・・ 自分さえよければという行動を隠せるだけでなく、善人扱いしてもらえるようになるからです。
本当にしなくてはならないことは ・・・ 困る人が増産されない社会環境を作ること、そのためには、ひとりひとりが社会循環にマッチした日常生活をすること!
私は、ず~~~~~っと、この想いを強く持って ・・・ いろいろな発信をしてきました。
その中の一つとして、
【10年経っても20年経っても飽きずに、毎日でも美味しく食べることのできる確かな食材をひとつずつ増やしていきながら、浮き沈みの少ない安定生産と安定供給と安定消費のバランスを作る】
という考えを強く持っています。
社会全般の常日頃の価格競争に巻き込まれれば、すぐに安定は崩れます。安全性も崩れます。
誰かが買い占めをすれば、これまた安定供給は大きく崩れます。
だからこそ、できるだけ定期購入に近い形でのコンスタントなお買い物を求めるのです。
買うと言っていた人が急にキャンセルすれば、安定は崩れる。
買っていなかった人が、少しずつではなく、一気に大量に購入すれば、安定は崩れる。
儲けだけが目的の流行品であれば、それはそれで仕方ないかもしれない。
もともとの目的が違うのですから ・・・
しかし、日常生活に欠かせない大事なものについては、「安定」と「確かな安全」を一番に求めないといけないのでは!!!
多くの人は、流行品も欠かせない大事なものも同じように ・・・ 目先の損得で選んだり買い漁ったりしている。私にはそう見えます。
「流行は作るな!」「流行に乗るな!」「流行に流されるな!」
「規模拡大は目指すな!」「生活できるようになったら、規模縮小を目指し、拡大可能分を後進の自立のために残しておこう!」
「規模縮小を目指しているお店でのお買い物を優先しよう!」
私が、いつもクドクドと声を大にして言う大きな理由です。
流行に乗る人は、流行に乗ってはいけないものにまですぐに乗ってしまう。無意識にそういう癖がついてしまっているのです。
どこかで誰かが困るかもしれない、というものまで ・・・ 知らず知らずのうちに ・・・ 気まま・身勝手に買い占めたり、急なキャンセルを平気でするようになってしまうのです。
誰かが困るかもしれない、なんてことに意識がいくこともなく ・・・
こういう人の多くは、自分に何か困ったことが起こったときだけ、やたら大袈裟に怒るのです。
常日頃、きちんと意識した生活をしている人が怒るのであれば分かるけれど ・・・ 現実は逆なのです。
【お米】 【お味噌 + 調味料】 【お野菜】 【お茶】 これだけは何が何でも、定期購入を! と言い続けて数十年。
少しずつ安定してきたな~~~ と思う頃を見計らったように ・・・ 大きな事件が起こる。
阪神淡路大震災 ・・・ リーマンショック ・・・ 東日本大震災 ・・・
こういうことが起こるたびに ・・・ いつも以上に、人の本性が現れる。
これまで、ともに安定を目指していたと思っていた人が、目先の儲けに目が眩み ・・・ 上記のような身勝手な人たちに、そして、高値で購入してくれる人たちにどんどん売ってしまう。
自然栽培を広げようと努力してきた人たちでさえ例外ではありません。
これまで、農家のため、社会のためとコツコツと定期購入していた心ある消費者の梯子が外されてしまう。
欠かせない大事なものの梯子を外され ・・・ やむを得ず、代替品を探す。
やっと見つけて、再び安定を求めた購入を続けるようになる。
目先の儲けに目が眩んで高値で販売をしていた業者は、大きな流れが終われば購入する人がいなくなる。
もう一度購入してください、と泣きついても ・・・ その時には、これまで購入してくれていた人たちは、すでに他の購入先を大事にする生活が始まっている。
高値で一時的に設けた業者は、その後、路頭に迷うか ・・・ または、一時的な大きな儲けが忘れられずに、同じような儲けの方法を模索し、中には、さらなる大儲け ・・・ なんて輩も ・・・
農薬・肥料・添加物など、一切の有害物を使用せずに生産されていた商品も、需要と供給の関係が大きく崩れます。
こつこつと積み重ねる生活をしていた人たちは(消費者も小売業者も生産者も)、こうしたことが起こるたびに ・・・ 振り出しに近い状態からやり直しになります。
今回の、【令和の米騒動】も、同じような状況になりつつあります。
消費者・小売業者・生産者、みんなが覚悟を持って、目先の損得に踊らされずに、最低限の流れを維持し続ける。
そういう人が着実に増えていくような働きかけ・声掛けをみんなでしていく。
世間が大騒ぎになっても動じることなくいつも通りの生活ができるようにする。
そういう人が増えることで ・・・
常日頃の日常生活で本当に大事にしないといけないことを周りの人たちに理解してもらえるようになる。
その理解が広がることで、やっと、「安定」と「真の安全」が確保される社会に向かっていくことができるようになる。
多くの人は、少し安定が続くとすぐに忘れてしまう。そして目先の損得に走ってしまう。
大騒動があったときに理解してくれたと思える人(社会全体では1%にも満たない人たちだろう)の中で、次の騒動まで大事なことを守る生活をし続け、次の騒動でも動じることなく、同じ生活を続けようとする人は、10人にひとりどころか100人にひとり、いや、1,000人にひとりもいないかもしれない。
だから、安全なものが広がりかけては消えていく、その繰り返しばかりの世の中なのだろう。
社会全体から言えば、10万人にひとりにも満たない人との出会いを求めて ・・・ 早30年。
東日本大震災の時 ・・・ 「トイレットペーパー」「ペットボトルのお水」「乾電池」などなどが日本全国の小売店から一気になくなった。
乾電池、その時に買ったものを、今でも使わずに持っている人、意外と多いのでは???
普段使わないものを、買わないものを、多くの人が一気に購入する。生産が追いつくはずないですよね。必要な人のところに必要なものが届かなくなるはずですよね。
誰かが欲しいというといけないから確保しておかないと ・・・ その考えが社会悪、悪循環を作り出す、ということに気付いて欲しい。
今回のお米、すでに、新米を買い占めて、高値で販売を始めた業者がたくさんいる。
コシヒカリの早場米は、お盆頃に収穫・流通し始めます。
例年であれば、すでに出回っているのですが ・・・ それもない。なぜ???
そして、いつもと違う業者が大量に抱えている ・・・ どうして???
誰がその手引きをしているの???
早場米は、そのほとんどがJA経由で流通されます。
そして、早場米は、補助金絡みで、政府(農水省)の関与も大きい。何か見えてきますよね。
そういう情報をいち早くキャッチし、自分の分だけをきちんと確保した者が「賢い経営者」そして「賢い消費者」と言われる今の日本社会。
日本は、いつから、【ズル賢い連中】を褒め称えるようになったのか? 昔からなのか?
だからこそ、賢さもズル賢さもない、安定した流れを作りたいのです。
そんな社会の循環を作りたいのです。
ズル賢い連中から身を守りながら、賢さの必要のない社会環境を作り上げる。並大抵のことではない。私が生きている間に、そんな流れが出来上がるとは夢にも思わない。
なぜなら ・・・ 善人面したズル賢い連中が、蔓延しきっている日本社会だから!!!
このような想い・考えを伝え続け、できてもできなくても ・・・ 自分のできることは精一杯続ける、そんな生活の中から、少しずつ、その想いや行動を理解して、「自分もできることをしていこう」という人が現れてくると信じている。
現に、私の30年前と同じような苦しみを味わいながら、それを苦しみと捉えず、生きがい・社会的使命と捉えて、本気で前進し始めている若者が何人も出てきた。
彼らが、彼らなりに、それぞれが自立した仲間を増やし、その仲間と、切磋琢磨・助け合いながら、時には、考え方を思いっきりぶつけあいながら、その違いを理解し合いながら ・・・ その上で、お互いに前進しやすい環境を作り合う。そんな姿・光景が私には見えます。
できれば、私もその輪に加わりたいが ・・・ 残念ながら ・・・ 身体がついてこない ・・・ それでも、命が続く限り、自分のできることは続けていく。
今回のお話は、社会の仕組み・循環、それに対する多くの人の言動、そしてその先の目指すもの ・・・ 分かりやすく語ろうとすれば、本を何冊書いても足りないほど ・・・ いろんな事例を含めて ・・・ 語り尽くせない。
それでも、その一端を少しでも理解していただけたら ・・・ そして、皆さん一人一人が、その内容を咀嚼しながら ・・・ みなさんなりの生き方・判断・行動をしていってくれることを願っています。
ちょっと表現方法を変えて・・・
今年は、令和の米騒動の年。(いろいろな理由が交錯していますが・・・)
スーパーにも道の駅にも、お米屋さんでさえ ・・・ 都会やその周辺地域では売る米がない。
それに輪をかけて、都会の人たちが、田舎に出向いて買い占めていく。
そういう世の中にならないように ・・・ 何十年も、コツコツと、安定した確かな流れを作ろうとしてきましたが ・・・ リーマンショックや阪神淡路 東日本大震災 などなどのときに、本当に困っている人ではない人たちが買い占めをし、本当に困っている人たちが、これまでの流れを断ち切られさらに苦しみの中に追いやられる ・・・
それまでコツコツ積み上げてきた流れも壊され、再びゼロからの再出発 ・・・ そんな繰り返しをしています。
生産者、小売業者、消費者が、安心して継続取引して行ける土台を作る、世間の流れに振り回されない関係を築き上げる ・・・ そんな壮大な目標を、世間に影響を与えない規模でコツコツと続ける。そして、同じような想いの仲間を増やす。
仲間に上下関係はなく、気の合う者同士が力を合わせて、誤魔化すことなく、それぞれが自立を目指す。
仲間と言っても、何かルールがあるわけではなく ・・・ お互いの想いを時間をかけて理解し合えるようにしていく ・・・ という程度のものです。
そんな想いで、毎年3~5軒くらいの農家さんを訪ね続けています。
「この人は本気だ! 誤魔化しがない! 農作物や販売するモノだけでなく、生活全般に嘘がない。こういう人が普通に生計を維持できる世の中になっていけば、次の世代にも少しは安心材料が残せる!」 という人に、これまで何人か出会いましたが、残念ながら、その多くは、生活していくことができずに途中断念してしまっています。
結婚や出産や、子供の進学などで家族の理解が得られない ・・・ というのも大きな理由のようです。
また、当初は「本気だ!」と感じられた人で、その後、必要以上の規模拡大を目指した人は ・・・ 例外なく ・・・ 上記のような、何か事があったとき(または事前に察知した時)には、「損得を優先」した行動を、それと悟られないように、巧みにこなしていく。
浅い付き合いの人たちやネット上では褒め称えられ、長い・深い付き合いの人たちからは、「英雄扱い」されるか「卑怯者」扱いされるかのいずれかとなる。
英雄扱いする人は、言うまでもなく・・・同じ穴の狢。卑怯を卑怯と考えず、自分たちさえおいしい思いができればいい、という人たち。でもそれを世間に察知させないズル賢さがある。
卑怯者扱いする人は、世間に察知させないズル賢さを、しっかり見抜いて、おいしい餌に食いつかない人たち。
ズル賢いことに嫌悪感を覚える人たちは、それを正直に発言する人が多い。
すると、世間からは、ズル賢い成功者たちを妬んで非難・批判しているとしか思ってもらえない。
肝心な、社会全体の流れを作るための話し合いの土俵にも上がれない。
そんな中で、
断念しないで続けられるような流れをどのように作っていくのか ・・・ 大きな課題です。
そのためには、ズル賢さに圧し潰されないための確かな知識とそれに沿った社会の仕組みを理解しなくてはいけない ・・・ そう思っている。
以前は、「嘘のない・誤魔化しのない安全な食べ物・商品」について語ることが多かったのですが、今は、社会の仕組みやその影響を受けている消費者の考え方などに焦点を当てた内容についても、できるだけ発信していきたいと思っています。
さらに表現方法を変えて ・・・
【死の商人】 このことに理解を示してくれる人(嫌悪感を覚える人)は多いが ・・・
きつい言い方になりますが、【令和の米騒動】の中で、自分さえよければ ・・・ と、お米を買い漁る人も、本性・本質としては同類なのでは! 私はそう思っています。
陰で苦しむ人が出ようと、自分さえよければいい ・・・ 同じだと思いませんか?
【死の商人】とは、武器関連商品を大量に生産する会社やその従業員。それらを販売する会社やその従業員、それらを購入する会社やその従業員、それらを推進・予算を出す政府やその関係者 ・・・ などなどを言います。
【死の商人】と【お米を買い漁る人】との違いは、
1. 世間から見て、それを想像しやすいか、想像しにくいか ・・・
2. 苦しむ人を映像で見ることができるか、できないか ・・・
3. 苦しめる行為が直接的か、間接的か ・・・
などなどです。
分かりやすいか、分かりにくいかは別として ・・・ 苦しむ人が目の前に現れるか・見えない所にいるのかは別として ・・・ どこかで誰かを苦しめる行為そのものには変わりない。
私はそう思いますが ・・・ みなさんはどう思いますか???
こういうことを想像できる人が増える世の中になって欲しい。私はそう願い、そのための行動をしているつもりです。
若い頃(歳を取ってからもだが(笑))、良いことをしようとする人に声をかけられて、それを信じて ・・・ 本気で取り組んで ・・・ 関わる中で、その人が実は「自分さえよければ」という人間であることに気付き、疑問を投げかけると ・・・ その先は大きく3タイプ
A; 激怒して、私を貶めようとする。
B; 表向きは変わらず、陰で、私の悪い噂を流し続け、私の仕事に支障が出るような働きかけをあちこちでする。
C; こちらが完全に決別宣言しない限り、何事もなかったように利用し続けようとする。
いろいろなところで、いろいろな人とたくさん関わってきた。
上記、A、B、C 嫌と言うほど味わった。
こうした経験を数多く繰り返してきても、一見して人を判断することは難しい。
上辺を取り繕うことがうまい人間がどんどん増えているような気がする。
ある程度関わって、その人の言動を観察することで、その矛盾に気付かないと ・・・ 騙され続けることになる。
世間一般で誰から見ても「良い人」と見られる人は、「本性を隠すのが上手な人」ということなのだろう。
会話はどれだけ深い内容になってもいいが、生活・仕事などで深く関わる場合は、できるだけ本性が見えてからにしたい。(しかし、悲しいかな ・・・ それでは仕事が続かない。)
でもね、それでも本性を出さない人(上辺のきれいごとばかりを並べ立てる人)とは ・・・ やっぱり、深く関わらないほうがいい ・・・ それが、今現在、満62歳の私が得た教訓です。
本音を出し合える相手をひとりでもふたりでも増やすことが大事だと痛感している。
考え方や生き方が同じであるかどうかより、本音を出し合えるかどうかの方が、何百倍も何千倍も大事だと思います。
本音を出せば出すほど、痛い経験も増えますが ・・・ それを恐れて、本音を出さない人ばかりの世の中になってしまったから、苦しむ人が一層苦しめられる社会が進行していくのだと思う。
「痛い経験を恐れずに本音を吐こう! そして一歩踏み出そう! 必ずや、生きるための大きな力に変わるから!」
【令和の米騒動】は、コメ不足が原因ではありません。米不足にはなっていません。
米不足ということにして、日本の税金で事前に手配していたアメリカのお米を日本の市場の中に、国民の批判をできるだけ浴びないように、なし崩し的に流通させるための手段に利用されただけ。
アメリカのお米を、どこが手配・販売しているのか、流通さている会社やお店の実質的親会社は? しっかり目を光らせてくださいね。
もうひとつ、非常事態宣言を出した時の国民の動向を探るため ・・・ 今のところ、権力者たちが思うとおりに国民は動いてくれそうだ、という結論を得ていることだろう。
この世から戦争がなくならない理由は、戦争で金儲けをする人たちがいるからです。
その人たちが、世界各地で紛争や戦争を仕組んでいる。
その流れを断ち切らない限り戦争はなくならない。
そういう人たちが、日本でもいろいろな仕掛けをしてくる。
その中には当然日本人も多く含まれる。
その流れに多くの国民が振り回される。
振り回される人たちが世論を作っている限り、今回のような騒動は、これからも繰り返される。
2024.08.29