気の向くままつぶやき
【万人にとって正しい】なんてものはない!
【万人にとって正しい】なんていうものはない!
【万人にとって正しい】なんていうものはない!
しかし、万人にとって間違っている、と言えることは山ほどある。
同様に、
【万人にとって安全】なんていうものはない。
しかし、万人にとって有害、というものは山ほどある。
多くの人は、「正しいこと」「安全なこと」を求めようとする。
それが、 “自分にとって” と言うことであればいいのだが、そうではない。
現代社会では、
「正しいこと」=「自分にとって得なこと」と勘違いしている人も多い。
「安全なこと・もの」=「速効性・即効性のあること・もの」と勘違いしている人はさらに多い。
ここに、社会の大きな盲点・問題点がある。
発想を変えなくてはいけない。
「正しいこと」「安全なこと」を探し求めるのではなく、「間違ったことしない!」「有害なものを使わない・食べない」という発想に!!!
同じことではないのか・・・と言う人が後を絶たない。
そこが一番の問題だ。
全く違う、ここを理解してもらうのが一番難しい。
私は、若い頃から、いろんな人から「どうしてお前は、白黒つけたがるのか・・・」と言われた。
私にはそんな気は毛頭ないのに、どうしてそのようにとられてしまうのだろう??? といつも疑問に思ったものだ。
でも、簡単な話だった。
世間では、
「正しいこと」の反対語は「間違っていること」
「安全」の反対語は「有害」
それしかないんだ。
間違っていること、有害なことを指摘すると、その反対の正しいこと・安全なことを主張しているとしか見られない。
正しいことは万人共通ではない。
安全なことも万人共通ではない。
その前提条件がない中での会話はどこまでいっても噛み合わない。
私にとってもこれまでの活動は、安全なものを広めるという表現を使うことはあるが、根本は「有害なものを買わない・使わない・食べない」ということなのです。
その結果、多くの人に共通する安全が見えてくる。
その先に、初めて、個々の安全が見えてくる。
私の場合、どんなに安全と言われる牛乳でも数日続けて摂取するだけで耳から膿が出てきたり、背中に湿疹が出来たりする。
自分自身が自信をもって、自家採種した種で、無農薬・無施肥・ノーマルチで栽培した枝豆でも大豆でも、牛乳と同じようなことが起こる。
ただし、大豆の場合は、天然菌でのお味噌にすると、その症状が一切出ない。
これは、私にとっては、牛乳や大豆は安全とは言えないのです。
でも、これは、あらゆる食材から、有害なものをすべて取り除いていった結果でしか分からないことなのです。
私は、常にこうした意識で、有害なものの見極めをしてきました。
自分にとっての安全なものをしっかり見極める、そのためには、「何が有害なのか!」をしっかり知り、排除していくことができなければ、決して自分にとっての安全なものには辿り着かない。
私がしていることは、万人とって安全なものを探し求めるのではなく、万人にとって有害なものを排除していくことなのです。
その先に、ひとりひとりの安全がある。
有害なものをしっかり取り除くことができれば、ひとりひとりの安全は、その先に否が応でも見えてくるのです。
この考え方は、おそらく、私の人生の到達点ともなる思想だと思います。
思想・考え方としての到達点はできた。
残りの人生は、この思想を、どのように伝え・広めていくのか・・・
これまで以上に大きな課題をもらったような気がしています。
【答えはどこにもない】
これも同じ発想です。
ほとんどすべての人は、答えを求めようとする。
その答えが正しいかどうかではなく、答えを決めて、それを拠り所に生きていたいと思っているようだ。
そうしないと不安で仕方がないのだろう。
本人が気付いているかどうかは別として、私から見ると、世の中の99.999…%の人が該当するのでは??? と感じてしまう。
答えはどこにもない。正解はないのです。
人が決めたことには、正解・不正解があるかもしれない。
しかし、決めたことの内容を少しを変更すれば、正解が不正解になり、不正解が正解になることもあるのです。
それだけのことなんです。
そんないい加減な正解を求めて生きているんですか??? と問うても、それでも多くの人は正解を求め続けてしまう。
人が決めた一時的な答えを除けば、世の中に「正解」「不正解」なんてものはもともと存在しないのです。
ないものを求めて、無理矢理導き出し、そして一喜一憂する。
自然界から見たら、「なんと愚かなことだろう!」と思う。
勘違いしないでくださいね!
「愚か」なことも、決して悪いことではないんですよ。
何故なら、人間という存在そのものが、自然界全体から見たら、愚かな一生物でしかないのですから。
怖いのは、その愚かさを忘れて、正解を求めて自然に立ち向かおうとする人が増えていくことです。
自然に寄り添うという言葉を使いながら自然に立ち向かう。
本人は全く気付いていない。こんな怖いことはありません。
意外と??? 自然栽培農家さんに多いんですけどね!!!
世間一般に流布されている「自然と寄り添う」という言葉は、季節のあいさつ程度の言葉に成り下がってしまいましたからね!!!
いずれまた、もう少し分かりやすい表現でお伝えしたいと思います。
まだまだ私の中で咀嚼できていませんから。
2025.01.03